暁光を見た男

マザーハーロット:初めて樹海に潜った時の話

1


「が――ぁ!!」 宙に浮いたていけつあつが最初に見たものは一面の夏木立と落葉のような赤、芋虫型の魔物に食いつかれた少女。 それらを目で追う暇も無く石畳むき出しの地面に叩きつけられる「生易しい痛み」の直後に、「自分」のはらわたにぐりゅっと激痛が走った。 (ふざけんな、ふざけんなよ……!!) ――痛いなんてものじゃない。全部の皮ふをいっぺんに溶かされたような、もしくはむき出しの内臓に直接煮えた鉛を押し当てられたような熱さだ。 怒りと恐怖と激痛がやけに思考を冷静にする。 ていけつあつは必死に周囲を伺おうとしたが見開いた眼球がとらえた景色は白くギラギラとにじんで、とても何かが見えるような状況では無い。 「っぎ!?ぃう゛、お゛あ゛ああっ!!」 それでも唯一分かるのは足をばたつかせながら金糸雀声で絶叫している少女……ミコトが自分を庇ったという事だった。 少女が叫ぶ度に同じようにの喉が痛み、芋虫の鋭爪が肉に食い込むと今すぐ傷口を毟って痛みから解放されたくなる。なのにミコトから目を離せない。 (俺が、助けられた?あんなクソガキに?) ……死にかけて俺も頭がおかしくなった、今だって芋虫以外の魔物どもがわらわら湧いて自分を食おうと詰め寄っているのに!考える時間はないのに! 「ぐ……あ゛ぅっ!」 取り敢えず立ち上がろうとするていけつあつの無防備な横っ腹めがけて魔物が突進する。 鋭い体毛が不意打ち気味に突き刺さった傷口は絵の具のように血を噴き出して、そのまま地面に崩れ落ちた。 打ち所が悪かったらしく全身の力が一気に抜けて手足をずりずりと這わせる事すらままならない。 視界の隅でひたすら喚くミコトの声すら遠く、くぐもって聞こえる。 不幸は重なる。 被弾の衝撃で呪鈴の紐がちぎれたらしくていけつあつの目の前には煤汚れた呪鈴……それとていけつあつを睥睨する魔物が居た。 「あっ」 ていけつあつの視線に気が付いたのか、魔物は彼が呪鈴を引っ掴むよりも早く小さな手で呪鈴を自分のほうへ奪い取った。 ひ、と息を漏らして青い目を呆然と開いているていけつあつに魔物が嗤うような鳴き声を浴びせた気がした。 そんな中、不意に食い破られる痛みを訴えていた腹が大人しくなった代わりに足に全体重が掛かる。 眼球を必死に動かすと芋虫が何かを咥えていることと、咥えているのは青紫になったミコトの足だという事に気が付いた。 「……」 「……お、おい……おい!」 呼びかけてもいらえが無い、ついに失神したらしい。 分かっていてもていけつあつは呼びかけ続けずにはいられない、早く起きて貰わなければ自殺・・する事だって出来なくなる。 芋虫はミコトを持ち上げると二、三度具合を確かめるように振り回す。そして少女の体に勢いをつけて石柱へとぶん投げた。 「――――ぎ、ぁ、あ゛あぁ!!??」 折れた。 裂けた喉が悲鳴を上げる痛みなど今のていけつあつの眼中にはない。焼けるようだった全身が一瞬で凍り付き、折れた骨でごちゃごちゃになった患部から熱湯が噴射したような激痛が意識を失わせてくれない。 全身から嫌な音が止まらない。ミコトの身体が逆くの字に曲がって、戻って、多少の浮遊感と共に顔から地面へ激突した。歯が折れたらしくていけつあつの口の中は血のプールのようになっていた。 「げほっ、はっ……はあ……は……」 血を出して笑うように咳き込むていけつあつの耳へきちきちと値踏みする声が聞こえる。 視界のほとんどが失血で暗くなり、ていけつあつの眼球は何も見せてくれない。 だが魔物の臭い息遣いやそこに混じる嬉しそうな鳴き声だけで十分だった。 陽光を流し込んだような金髪も耽美人形ビスクドールのような白い肌には砂塵と血塊の死化粧が施されているミコト。腹の大穴からはごろごろはらわた・・・・が飛び出して、少しでも身じろぎすれば全て飛び出してしまう具合だった。 ……今の二人の命はパンと変わらない、魔物の食卓に並ぶかそれとも楽しい玩具になるか。 しっかり下ごしらえされたていけつあつに選ぶ権利は無く、ただ目を閉じて前者であってほしいと祈っていた。 (ぁーあ……嫌だ嫌だ……家を追い出された挙句こんなクソ寒い土地で死ぬとか……) ていけつあつの弧を描いた唇から自然と嘲りが漏れ出す。あれほど騒々しかった痛覚や鼓動もすっかりしぼんで、老人のようにゆっくり静かになっていた。 「……なあ、クソガキ」 いらえは無いし罵声も無い、それでもていけつあつは話しかけた。 「お前はどうして俺を庇ったんだよ?意味ないだろ……」 いくら庇っても大けがすれば意味が無い、どちらも共倒れになると街でミコトに再三説明した……なのにミコトは自分を庇ったのだ。 「……」 「……答えろ、よ。生きてるなら」 ていけつあつの問いかけに反応することは無く瀕死のミコトは地面を赤黒い汚し続けていた。いっその事、今すぐ息絶えた方がこれ以上苦しまずに済んだのではないか。 ミコトの聞き分けの無さをていけつあつは身を以て知っていたつもりだった、だが少女のあまりの愚かさに最早笑うのも疲れてしまった。 (……もうどうでもいいか) 耳をすませば樹海の心地よい歌が聞こえてくる。死の間際だというのに心は穏やかで風が木々を通る音や空に突き抜ける音だけが聞こえる。 本当に嫌な気分だ、こんなにも自分は苦しんでいるというのに腹立たしい。 「……キザイア」 小鳥の声に混じって喉の潰れた呼び声が聞こえた気がして、そして脱力していた身体を貫いた痛みにていけつあつキザイアは瞼を開いた。 「あたしの物の分際で、勝手に死ぬ、つもり……」 「な」 ていけつあつは目の前の光景をのどに詰まらせかける、足元にミコトが居たのだ。少女ははらわた・・・・をぼとぼとまろびださせながら地面に剣を突き刺し立ち上がる、まるでていけつあつを自分の背に隠すように。 「……っ゛!」 「ぐっ」 少し姿勢を崩した瞬間ミコトの緑眼から薄赤の液体があふれ出し歯が鈍い音を立てる、ていけつあつにはそれがどれほどの責苦なのか骨の髄まで・・・・・理解できる。それでも崩れかけた体を必死に立て直し彼女はていけつあつにひかめく眼差しを向けた。 呼吸しているだけでも舌を噛み切りたくなるのにミコトは声を荒げるのをやめなかった。幽鬼のような顔に光を宿してミコトは当たり前のように豪語する。 「いいかしら、あなたはあたしの物なの。 なのに、こんな魔物どもの餌食になるなんて……許さないわよ」 「……は」 ていけつあつの反応に満足したのか不敵に笑ったミコトはもう一度大地を踏みしめて魔物の群れに向き直る。 一呼吸の後、剣を引き抜きほぼ倒れるような動きで大地を蹴り上げた! 振り上げた剣先は魔物に当たることなく地面を掠って、逆にミコトの腹めがけて魔物の体当たりが激突する。 それを気にも留めずミコトはカウンター気味に魔物を蹴飛ばすと新たな魔物に斬りかかり続けた。 「……馬鹿じゃねぇの」 どうしてこのガキと出会ってしまったのか。 最近のていけつあつの頭にあったのはいつもそれで、前も今だって後悔しかない。 なのに今のミコトを見ているとどうしようもなく腹立ってくる、目を閉じてまどろんでいる場合ではないと身体が警笛を上げるのだ。 ミコトが暴れるたびに鈍い衝撃が走って傷口からまたぐらぐらと煮えた血が湧き上がってくる、不快なのにていけつあつは口角が上がるのを止められなかった。 その一瞬、動きを止めてしまったミコトの上に大きな影が落ちる。見上げた目と鼻の先には棘の生えた洞窟のような芋虫の口が広がっていた。 生温かい暗闇がミコトを覆う、そのはずだった。 樹海に響いたのはていけつあつの声、しかしそれは魔物の咆哮のようにも断末魔のようにも聞こえる悍ましいもの。 「俺は気が立ってんだ――睡眠の呪言寝てろ」 ていけつあつは胸を押さえ血を滴らせながらゾンビのように立ち上がり、粘液まみれの情けない顔のミコトと――その背後でうごめく魔物に向かって青白い顔で嘲笑してやった。 男の声を聴いた瞬間ぐらり、と影が揺らいで芋虫は地面に倒れこむと静かに寝息を立て始める。他の魔物も酔っ払ったようにふらつくと皆一様に目を閉じてしまった。 ……ミコトとていけつあつを除いて。 「……しんど」 首を回して自分たち以外の生物が眠ったのを確認し、やっと声を止めたていけつあつはわざとらしいほど大きなため息を吐いた。 赤黒くなった石畳の上で大の字にひっくり返ったミコトが緑の目と口を丸く開いた無様な姿勢で自分を見上げていたので、ていけつあつは自身の後ろ頭を掻きながら睨みつけてやった。 「お前一体どういう風の吹き回――」 「……」 既に意識を失った少女に気が付きていけつあつは言葉を詰まらせるしかなかった。 どうしてこうもこのガキは人の話を聞かないのだろう、一瞬だけでも触発された自分が馬鹿に見えてくる。 「……めんどくせえなぁ」 腹の中で暴れる罵声や怒声を喉の奥に飲み込んでていけつあつは意識の無い少女をおぶってやる、そしてこれからの旅路にこれ以上の苦労が無いことを祈りながら魔物避けの呪言を唱えた。

  1. 1
  2. 2
  3. 3

更新履歴

・2025/08/27:ルビを修正 ・2024/12/03:CSS更新 ・2023/06/22:第1版